リオ五輪の自転車ロードレースは8月6日にコパカバーナの海岸沿いの全長256.4kmのコースで争われます。
参加する日本代表はどちらも沖縄県出身の新城幸也選手と内間康平選手の2人です。
今回は初のオリンピック出場となる内間選手について調べてみました。
内間選手は現在、ブリジストンサイクルが運営するプロ競技チーム「チームブリヂストン・アンカー」に所属しています。
自転車のロードレースというと日本ではあまりメジャーではありませんが、内間選手の年収ってどれくらいなのでしょうか。
おせっかいかもしれませんが、27歳というお年頃でもあるしちゃんと 結婚できるくらいもらっているのか気になるところですね。
出身高校は自転車強豪校の沖縄県立北中城高等学校
内間康平選手は1988年沖縄県浦添市に生まれました。
身長は170cm体重は68kgの自転車選手らしい筋肉質の体型です。
内間選手が自転車の魅力にはまるきっかけは中学生のときに両親にロードバイク買ってもらったことだといいます。
中学卒業後は浦添市から近く、自転車強豪校として知られる沖縄県立北中城高等学校に進学して本格的に自転車競技に取り組みます。
高校に入学してしばらくは目立った成績を上げることができず、自転車競技をあきらめかけたこともあったようです。
しかし、やがて頭角を現し自転車部の主将を務め、2006年の高校総体では全国優勝をなしとげ、ジュニア日本代表にも選出されました。
体育大学からプロの道へ
高校卒業後は鹿児島県鹿屋市(かのやし)にある鹿屋体育大学に進学しました。
鹿屋体大は日本で唯一の国立体育大学で、アテネオリンピックの競泳金メダリストの柴田亜衣は同大学の出身です。
北京オリンピックにも4人の選手を輩出しています。
大学ではインターカレッジの自転車競技で優勝をするなど華々しい活躍をして2011年の卒業と同時にチームNIPPOに加入してプロの道に入りました。
その後2014年にチームブリヂストン・アンカーに移籍して現在にいたります。
内間選手はオリンピック日本代表に選ばれただけでなく、日本に自転車競技の代表枠をもたらした貢献者です。
2015年に開催されたツアー・オブ・タイランドで内間選手がステージ優勝したことで日本は代表枠を獲得できました。
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内間選手のプロ自転車レーサーとしての年収は?
もう1人の日本代表の新城幸也選手はフランスのプロチーム「チームユーロップカー」で7年間活動して日本人として初のツールドフランスを完走するなどの実績をあげて2016年にイタリアの「ランプレ・メリダ」に移籍しました。
新城選手はオリンピック出場もロンドンに続いて2度目です。
このような実力者なので移籍にあたっての契約金は数千万円になるのではないかと噂されています。
しかし、その新城選手もフランスでの初年度の年俸は300万円程度だったと言われています。
では、2014年にチームNIPPOからブリジストンアンカーに移った内間選手の年収はどれくらいなのでしょうか。
オリンピック出場を果たした来年度からは年俸も上がると思われますが、現在のところは新城選手の初年度の年俸よりも若干多い程度ではないかと推測されます。
無論、雑誌にでたりと細々とした収入があると思うので、もう少し収入自体はあると思いますがね。
プロのロードレーサーでも、アルバイトしないとやっていけない選手もいるのは有名な話です。
トップになると10億円とかいう世界なんですがね。
まだ彼女の噂も聞こえてこない内間選手ですが、リオで好成績をあげて年俸も上がるように応援したいところです。
ロードレーサーの年俸に関してはこちらのサイトに詳しく書いてあるので、のぞいてみてくださいね。
まとめ
地元沖縄の北中城高等学校で本格的に自転車競技を始めた内間康平選手は、高校総体で優勝するなどの活躍をして、鹿児島の鹿屋体育大学に入りました。
大学でもインターカレッジでの優勝などのキャリアを積みました。
卒業とともにプロの道に入りチームNIPPOからブリジストンアンカーに移籍して、このたびリオ五輪出場という快挙を成し遂げました。
7月14日にリオ現地での合宿に出発した内間選手は、自身のフェイスブックで出発の飛行機がエンジントラブルでシップチェンジしたことなどをユーモラスに語っています。
治安が心配されている現地ですが、無事に合宿を終えて活躍してくれることを祈りたいと思います。